株式会社弘乳舎  
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■沿革
 株式会社弘乳舎は、いずれも明治時代に創業した「弘乳舎(高木家)」と
 「光乳舎(光永家)」、2社の流れを汲む乳製品製造会社です。
年月日弘乳舎光乳舎
1883年高木第四郎(衆議院議員、九州商業銀行(現 肥後銀行)支配人、九州新聞(現 熊本日日新聞)社長などを歴任)が、 熊本市鷹匠町(たかじょうまち。現・新市街・下通一丁目、紺屋今町の一部)に、「弘乳舎」という牧場と牛乳を扱う会社を創業。
土地は160坪、 和牛は4頭と洋牛1頭。弘乳舎という屋号は「牛乳を弘く社会に普及する天下国家への奉仕」を意味する。
 
1893年託麻郡本荘村(現・熊本市本荘町)に牧場を建設して移転。牛舎はガラス張りで建設し病院と間違えられるほどであった。 
1898年  熊本県下益城郡杉合村(現・熊本県熊本市富合町)の光永松次・テキが、第3子である光永立身の誕生時に、 妻の母乳の出がよくないため、天草から牛1頭を購入し、 立身に飲ませていたところ、近隣からも「売って欲しい」との声が多数寄せられ、杉合村で牛乳の販売を開始し、創業。
1899年  熊本市の長六橋で、光永の“光”の一字をとり、「光乳舎」の屋号にて、牛乳の販売を開始。
1903年弘乳舎自慢の牛舎が焼け、乳牛6頭を失った。さらに、このあと40頭の搾乳牛中36頭が結核診断され、健康牛はわずか4頭とされ、創業20年目にして進退の岐路に立った。しかし市民に親しまれていた弘乳舎マークと声援によって再興が決意された。 
1904年日露戦争が勃発、再び需要が激増し、搾乳牛は50頭飼養、牛乳の売上も著しく伸長した。 
1906年日露戦争後も牛乳販売業は好況が続き、処理設備を近代化し、蒸気汽罐と消毒器を新設、瓶詰め殺菌を採用した。売上は急伸し、敏速な配達を達成するため、配達車を新調し需要者の人気を博した。またこの年、第1回九州連合畜産共進会で経営面で表彰された。 
1912年岩手の小岩井農場からホルスタイン種雄牛イデアール号と雌牛第2オスマ、第4ガランティの3頭を買い入れた。 
1916年規模拡大を図ったが、牛疫、事故防止のため牧場を分散し、危険負担を緩和するため、宇留毛(現・熊本市黒髪)に第2牧場を設けて40頭を飼養。 
1926年清水村八景水谷(現・熊本市八景水谷)に1万坪の第3牧場を設けて搾乳牛30頭、妊牛、子牛、種雄牛を加え60余頭を飼養。 
1933年高木第四郎が全国主要搾乳業者の農政的組織である「大日本乳業協会」の会長となる。 
1934年高木第四郎が「帝国牛乳協会(大日本乳業協会が名称変更)」の会長となる。  
1936年  光永立身が下益城郡隈庄町大字松の平936で搾乳処理開始。
1941年戦時下における経済統制の中で、熊本にある牛乳会社(弘乳舎が中心となり、熊本牛乳、肥後牛乳、銀杏牛乳、岡田省牧場の5社)が合併することになり、熊本合同牛乳(現 熊本乳業)となる。その際、「弘乳舎」社長であった高木第四郎が初代社長となり、以来10余年にわたり社長を務めた。 
1943年戦時下における経済統制の中で、熊本合同牛乳(現 熊本乳業)と「光乳舎」他10社程度の牛乳会社が合併。「光乳舎」の社長であった光永立身は、熊本合同牛乳の専務取締役となり、終身専務取締役を務めた。
1945年戦後、光永立身は、熊本合同牛乳(現 熊本乳業)の専務取締役を務める傍ら、光永家の家業として、熊本市新屋敷で再度、乳業会社を創業。その際、熊本合同乳業(現 熊本乳業)の統合に参画した一社である「弘乳舎」の社長であった高木第四郎から「是非、“弘乳舎”の商号を使って欲しい」との申し出により、「光乳舎」ではなく「弘乳舎」として創業。
1956年3月31日「株式会社弘乳舎」として法人設立。光永立身が代表取締役社長に就任。
1958年販売地域拡大により大阪営業所開設。
1959年堀栄商店(荒堀繁雄代表)が発足し、当社の大阪地区特約販売店として乳製品の販売開始。
東京営業所開設。
1960年新工場を熊本市清水町(現 熊本市高平)に建設着手。
1961年第一期工事アイスクリーム工場完成 アイスクリーム製造販売開始。
第二期工事発酵乳原液、練乳工場完成。
八代市に八代出張所を開設。
1962年第三期工事 飲料工場完成、瓶詰め炭酸飲料クールパンチ製造販売。 岡山市に岡山営業所開設。
1963年堀栄商店が法人化し、大弘乳製品株式会社(現 株式会社大弘)となる。
第四期工事 脱脂粉乳工場完成。
1964年福岡市に福岡出張所を開設。
1966年北九州市に北九州出張所を開設。
1967年乳酸菌飲料「セーピス」(大正12年商標登録)を製造販売。
1968年大阪中小企業投資育成鰍謔闢且曹受け、資本金9,000万円とする。
1969年諫早市に長崎出張所を開設。
脱脂粉乳工場増設工事完成。
1970年本社を熊本市新屋敷より熊本市高平に移転。
1971年瓶詰飲料水「マーチ」発売開始。
1972年缶詰炭酸飲料「三菱サイダー」(大正8年商標登録)を製造販売。
1973年光永守が代表取締役社長に就任。
缶詰乳飲料ミルクコーヒーを製造販売。
熊本市の販売強化のため、弘乳舎熊本販売株式会社(現 株式会社ASOジャパン)を設立。
1977年アイスクリーム工場冷凍庫増設工事完成。
1978年チルドデザート、プリン、ヨーグルト製造販売、脱脂粉乳工場増設工事完成。
1979年福岡出張所の冷凍庫、事務所を新築、移転。
1980年八代出張所の冷凍庫、事務所、倉庫を新築移転。
1981年アイスクリーム本社工場の急速冷凍硬化設備並びに付帯増設工事完成。アイスクリーム高橋工場のバイター設備並びに付帯増設工事完成。
1982年缶詰ミルクコーヒー製造ラインが完全自動化なる。
1984年北九州出張所の冷凍庫、事務所を新築移転。
1985年弘乳舎熊本販売株式会社の冷凍庫、事務所、倉庫を新築移転。 売上高、100億円を突破。
1991年熊本流通団地進出。
1994年脱脂粉乳工場新鋭機械リニューアル。
1996年町原籌夫が代表取締役社長に就任。
2007年7月6日健康ホールディングスが全株式180,000株を取得、連結子会社化。
2007年9月18日佐野賢一郎が代表取締役社長に就任。
2007年9月19日 福岡弘乳舎、北九州弘乳舎、弘乳舎熊本販売の3子会社が、弘乳舎グループから分離独立(その後、統合し、株式会社ASOジャパンとなる)。
2010年3月16日 全国農業協同組合連合会が第三者割当増資で7,000株を引き受け、資本参加。
2010年3月31日 九州生乳販売農業協同組合連合会が第三者割当増資で7,000株を引き受け、資本参加。
2010年12月 貯乳タンクを増設し、貯乳能力を480トンから980トンへ増強。
 ローリー車洗車場の洗車能力を3台/時から9台/時へ増強。


■昭和40年代の製品
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